「韓国、どこまで知っている?K-クイズチャレンジ!」に参加しました[森ゼミナール]



UPDATE 2024-06-10

2024年5月25日(土)に、国際学部森ゼミナール3年生(4期生)は駐大阪韓国文化院主催・大和大学共催の「韓国、どこまで知っている?K-クイズチャレンジ!」に参加しました。K-クイズチャレンジは大和大学の大和アリーナで行われ、約100名の参加者が集まりました。問題形式は2択から4択で答えを選ぶものであり、韓国の文化や一般常識など幅広く知識を問う問題が出題され、サバイバル形式で最後の1人になるまで続けられました。ゼミではK-クイズチャレンジに向けて韓国文化のクイズを事前に解いたりして対策をしましたが、想定していたより難易度が高い問題が多く出題され、残念ながら途中で敗退してしまいました。しかし、新しく学べたことも多くとても楽しく有意義な時間を過ごしました。結果として入賞はできませんでしたが、韓国文化について幅広く知る機会になりました。

今回の大会に参加したゼミ生の感想は次のようなものがありました。

「クイズ大会の内容は、私自身が想像していたよりも難易度が高く、序盤で脱落してしまった。しかし、もっと韓国について知りたいと思うきっかけになった」

「K-クイズチャレンジは1問目から思っていたよりとても難しくて、全部通しても分からない問題の方が多かったです。これからもっと韓国について沢山勉強して、来年も参加して次は1位を取りたいです」

「今回のクイズ大会を通して、楽しみながらも、韓国について今まで知らなかったことを知ることが出来てとてもいい経験になりました。より韓国について興味が湧いた一日でした」

「私が予想していた問題よりレベルが高く、まだまだ韓国について知らないことが多くあることを学びました!また機会があればもっと勉強して挑みたいと思いました。」

K-クイズチャレンジ後、参加者は主催者が用意してくださった韓国料理風のランチをいただきました。

午後からは、同会場で行われた「2024 K-POP CHALLENGE OSAKA」に参加しました。このイベントでは、ステージイベントとしてK-POPアイドルのカバーダンス、 K-SONGノレバン(のど自慢)、ゲスト公演などが行われていました。他にも広報ブース、体験ブースがありました。広報ブースでは韓国の航空会社などが出展しておりSNSをフォローすると抽選で賞品をもらうことができました。体験ブースではK-Beauty体験(韓国アイドル風メイク)やポッチュモニ(福袋)、サシェ作りのような韓国文化体験など他にもたくさんのイベントがありました。私たちも、韓国コスメやお菓子などを頂いたり、K-POP カバーダンスを見たりと韓国のポップカルチャーとKスタイルに触れて楽しい時間を過ごしました。

 

今回参加したイベントでは、体験型のイベントが多く参加者が韓国のことをより知りたくなる、より好きになるイベントがたくさんありました。私たち森ゼミナール4期生は、韓国の公共外交(Public Diplomacy)をテーマに共同研究をしていますが、今回の「韓国、どこまで知っている?K-クイズチャレンジ!」への出場と「2024 K-POP CHALLENGE OSAKA」への参加は、この公共外交を実際に体験できた良い機会になりました。この体験を今後の研究に生かし、韓国についてより深く知っていきたいと思います。

(摂南大学国際学部 森ゼミナール 南邑佳)

Drama Workshop:俳優に学ぶ身体表現



UPDATE 2024-07-09

2023年10月、国際学部1年生の科目「Drama」にて、プロの俳優・演出家によるドラマワークショップを開催しました。講師はAlessandro Visentin先生(写真1 左から2人め)とGabriel Felipe Ramirez Botero先生(写真2 左から2人め)のお2人です。

寝屋川キャンパス10号館7階には、小スタジオという、三方に階段状の客席があり、中央に板張りのステージがある特別な教室があります。写真1の上部にあるとおり、スポットライトと幕も完備しています。演劇やプレゼンの授業、音楽演奏のサークル活動でもよく使われるこの教室で、感情表現を身体で行うための90分を過ごしました。

すべて英語で進んだワークショップでしたが、今日のテーマはセリフ回しではなく「身体表現」。外国語を学ぶ学生が外国語でのコミュニケーションではついつい言語にのみ頼りがちなところを、セリフがなくてもこれほど豊かにメッセージを送り合えるということを実感しました。無言でも、人は協力できたり、拒絶したり、受け入れたり、できます。相手の身体表現から、驚くほど「わかる」のです。

この日の参加者には、選択科目「Drama」が摂南大学で開講された初期の履修生でもあった松吉先生(卒業して、今は大学と高校で教員として活躍中)も加わってくれました。コミュニケーションに興味を持っている学生が、代々履修して表現のバリエーションを広げるdramaの授業は、2024年度も後期に開講します。俳優によるdrama workshopは、今年は教職課程クラスで実施予定です。

This project was supported by Japan Society for the Promotion of Science Kakenhi Grant Number [20K02798: Creation and practice of English drama workshops to promote multiculturalism].

(国際学部 齋藤安以子)

「インドネシアのいま」を現地から講義していただきました



UPDATE 2024-05-20

 インドネシアのスラバヤ市にあるストモ博士大学(Universitas Dr.Soetomo; UNITOMO)と本学は連携協定を結んでいます。

 2024年5月16日、2年次対象の授業「インドネシア語と現代文化」において、ストモ博士大学文学部のシシリア・タントリ・スルヤワティ(Cicilia Tantri Suryawati)学部長に「インドネシアのいま」と題した講義をしていただきました。講義はインドネシア語で行われ、授業担当教員の浦野が通訳し、補足説明しながら進めました。学生たちからは、「普段の授業で扱われている、インドネシア語がよりさらに流暢で聞き取りにくく、これが本場レベルなんだと感じた」「この授業で、インドネシアのネイティブの人の喋り方を聞いたことで、インドネシア語がどのような速さでしゃべられているものなのかが分かった。想像していたよりもとても早口で聞き取れない部分も多かった」「インドネシア語を聞き取るには難しかったが日常会話ができるくらいにはなりたいと思いました」といったように、インドネシア語のレベルに驚きを感じていたようですが、今後のインドネシア語学修に大きな刺激となったようです。


 講義では、インドネシアの日常生活を中心に、街中の交通事情、伝統的な市場の様子、近代的なモールの風景、伝統的な食べ物、土曜の夜の楽しみ方、スラバヤの観光地などの紹介、さらにはストモ博士大学で日本語を学ぶ学生たちの様子に至るまで幅広いトピックを、先生が街中で歩きながら撮影したビデオや写真を使いながら丁寧に説明してくださいました。


 まさに「生のインドネシア」を知ることができ、学生たちは満足しているようでした。学生たちから寄せられた感想(主なものを抜粋)は以下にご紹介します。

・インドネシアの状況を動画で撮ってきたものを見せてくれたおかげで、インドネシアがどのような国なのかがより詳しくわかった。

・楽しかったです!インドネシアの街で売られている服がカラフルで派手なものが多いと感じ、派手好きな人が多い国なのかなと思いました。

・インドネシアの文化は自分が考えていた物と違っていた。このことは、インドネシアの文化を学ぶにあたって様々な物に関心を持つことができた。これらのことは、私が今後の人生において、他言語だけではなく、色々な文化に関心を持つだろうと感じました。

・インドネシアの今を知って、文化の違いに対する理解を改めてより良いものにしていかなければならないことを得た。今、大学の授業で異文化に対する考え方・向き合い方を学んでいるが、実在する文化にどう理解・考えるか、今後の生活において改めて気にするべき課題であることだと思う。

・今日の授業を通じて、昔ながらのインドネシアのことや今風のインドネシアのことについてかなり知ることができました。今まで写真では見たことがありましたが、映像では見たことがなかったのでより雰囲気を知ることができました。所々インドネシアの食文化についても紹介されていたので、実際に食べてみたいなと思いました。また映像には現地の人同士で喋っているシーンもあったので、現地の人の雰囲気をより知ることができました。写真や映像で見るインドネシアのイメージと現地に実際に行ってみるインドネシアのイメージはかなり違うと思うので、より実際にインドネシアに行ってみたいなと思いました。

・スラバヤの現地の人の声や先生のお話が聞けてすごく生の声って何よりもいいと思うので貴重な体験になって良かったです。

・インドネシアにもショッピングモールとか日本食のレストランとがあって発展している場所は日本と遜色ないと思った。一方で市場や公道は東南アジア感が全開でなんとなく安心しました。

・自国の習慣が当たり前なわけではないことが改めて分った。この先、さまざまな場面で外国の方と出会っても差別や偏見なしに一人の人間として対応したい。

・映像でインドネシアのことを見ることができたので、とても面白かったです。またインドネシアの大学の先生に質問をする機会があまりないのでとてもいい機会になりました。こういった機会があれば、次回はインドネシアの学生とも話してみたり、インドネシアの大学の授業の雰囲気や日本語を教えている授業の雰囲気を映像で見てみたいなと思いました。

 インドネシアとの時差は2時間です。そのため、リアルタイムでインドネシアの方々にオンライン参加してもらうことが比較的容易です。インドネシアへ直接行かずとも「インドネシアを感じる」ことは十分に可能だと思います。今後もこのような機会を設け、学生たちの言語運用能力の向上に役立て、知見を広げ、多様な価値観に接する機会とできればと思っています。

(国際学部教授:浦野崇央)

韓国の公営放送局MBC(文化放送)訪問:キムユジョン専門研究委員のミニレクチャーとインタビュー[森ゼミナール] 



UPDATE 2024-05-07

私たち国際学部森ゼミナール3期生(2023年度3年生ゼミ)は「The giver or The influence K-POPと市民的想像―」というテーマで共同研究を行ってきました。この度、2024年2月15日(水)には、共同研究に関わりのある韓国大衆文化(K-Culture)の影響力を調査するために、韓国の公営放送局MBC문화방송Munhwa Broadcasting Corporation/文化放送)を訪問し、専門研究委員キムユジョンさんにインタビューを受けていただきました。 

MBCは1959年に設立され、韓国国内外でテレビやラジオ放送を行っています。ドラマやニュース、バラエティなどの多様なジャンルのコンテンツを放送しており、韓国の放送業界において長い歴史と影響力を持つ最大手公営放送局の一つです。キムユジョンさんは、MBCコンテンツ戦略局コンテンツ戦略チームのメディアR&D(Research & Development)パートで専門研究委員として勤務し、コンテンツに関する調査研究に従事していらっしゃいます。当日、キム委員は「韓国コンテンツの海外進出という観点におけるコンテンツとプラットフォームの結合」というタイトルでミニレクチャーをしてくださった後、私たちの質問に丁寧に答えてくださいました。 

 

コンテンツ産業のリスク 

キム委員は韓国のコンテンツ産業は非常にリスキーな側面があり、ある意味でギャンブルと同じような性質を帯びていると指摘されました。事例として、一時期韓国ではゾンビに関わるドラマや映画がヒットしましたが、その後はその流行に乗るために数多くのドラマや映画がゾンビの要素を盛り込み始めたことを挙げられました。確かに、多くの視聴者は1つのゾンビ作品が面白かったと思うと、他のゾンビ作品にも興味が湧き視聴する傾向があります。しかし、全ての作品が視聴者の心をつかむわけではないので、当然売れない作品も出ることになり、そのような作品は淘汰されていきます。淘汰され捨てられる作品が大量に発生する可能性もあります。韓国のコンテンツ産業はこのような危険性を帯びていると教えていただきました。 

メディアコンテンツ産業の今と昔 

また、キム委員は、韓国メディア産業の今と昔の違いも説明してくださいました。 日本で問題になっている若者の「テレビ離れ」は韓国でも問題になっており、テレビ番組を視聴しているのは50人中およそ2人と減少しているようです。最近では人気のあるテレビ番組でも視聴率は5バーゼントほどしか取得できないということです。昔はコンテンツ産業においてはテレビ番組の視職率が最も重要でしたが、現在はSNSNetflix などのブラットフォームでのアクセス数やアクセス時間、そして評価(例えば「いいね!」の数)が重要であると教えていただきました。 

また、キム委員によると、人々がメディアコンテンツを視聴する時は、年配の方は3~4回見てからその番組が面白いかどうかを判断するが、若年世代は1回の視聴のみで面白いかどうか、このまま見続けるべきかどうかを判断することがほとんどであること、若年世代はインスタグラムやTikTokを通して短時間でコンテンツの情報収集をしている現状があるということです。そのため、長いコンテンツに慣れている世代と短いコンテンツに慣れている世代、両方に合わせたコンテンツを制作しているとキム委員はおっしゃいました。キム委員のお話の中で私(奥村)が最も印象に残ったことは、「流行は若者から発信されていくことが多いので、コンテンツを大量に生産するのではなく、SNSでどういったキーワードが流行しているのかなど『話題性』のデータ分析をすることがカギである」ということです。現代の「K-Culture」は若者たちの価値観や創造性によって発展していることを学びました。 

今回、キム委員にインタビューを受けていただき、韓国のメディアコンテンツ産業について深く考えさせられました。韓国のメディアコンテンツ産業はすべてが順調に発展しているわけではなく、大きなリスクを伴いながら作品製作をしているという事実が衝撃的でした。そして、激しい競争や高いリスクを伴う一方、新しいコンテンツの生産は創造力の向上や価値観の広がり、そしてサービスの発展に大きく繋がっているということも分かりました。 

また、キム委員が「韓流には強い『吸引力』があり、プラットフォームを通して、誰かの心に引っかかるように多種多様なコンテンツを制作している。そのコンテンツの中でも社会的意味を込めた作品が視聴者に社会問題を考えさせている」とおっしゃったことも重要なことだと思いました。韓国のメディアコンテンツ産業は韓国の社会問題に焦点を当てることで人々に影響を与える要因の1つであり、メディアコンテンツ産業を通して社会問題の改善や変化が促進される部分もあるのではないかと私(奥村)は考えました。 

業務でお忙しい中にもかかわらず、ミニレクチャーをしてくださりインタビューにも応じてくださったキムユジョン専門研究委員に心より感謝申し上げます。貴重なお話ありがとうございました。今回のミニレクチャーとインタビューの内容を整理して今後の共同研究に活かしていこうと思います。 

 

(外国語学部/国際学部 森ゼミナール 奥村珠帆) 

壇国大学でゼミナール共同研究の中間発表・学生交流を行いました(森ゼミナール) 



UPDATE 2024-05-01

2024年2月14日(水)、私たち摂南大学外国語学部(国際学部)の森ゼミナールは韓国の京畿道龍仁市にある壇国大学を訪問しました。まずキャンパスツアーを体験してから(ゼミ同期の青山実由さんの記事参照*)、私たちゼミナール共同研究の中間発表と学生交流を行いました。 

壇国大学メディアコミュニケーション学部のカンネウォン教授・キムハナ教授(融合社会研究所所長も兼任)・チョンチャンウォン助教授および壇国大学の学生10人に出迎えていただきました。私たち森ゼミナールは、壇国大学の学生と先生方に向けてゼミ共同研究内容や活動内容の紹介プレゼンテーションを行いました。その後の質疑応答・ディスカッションの時間には、壇国大学の学生・先生方からの質問に答えました。学生からは日本でのK-POPの影響や日本のアーティストとの違いなどの質問に加え、K-POPはどのような存在として日本で受け入れられているのかについて質問がありました。 

また、私たち森ゼミナール生から壇国大学の学生にも質問しました。私たちは韓国国内でのK-POPの影響力や私たちの世代がK-POPにどのようなことを求めているのかを実際に現地の学生に聞くことができました。知的刺激に満ちたとても良い時間でした。 

このディスカッションの場で一番印象に残ったのは、質疑応答の中で壇国大学の先生方から指摘された「文化と産業の混合」というキーワードです。私たちが研究テーマとして掲げるK-POPは文化的面と産業的面があり、双方は一緒に考えるのではなく分けて見る・考える必要があるのだと気づいたきっかけでした。この気づきや質疑応答での学びを今後の研究にも活かしていきたいと思います。 

プレゼンテーションと質疑応答後、教員・学生みんなで壇国大学から少し離れたところにある宝亭洞(ポチョンドン)の通称「カフェ通り」に食事に行きました。言葉が思うように通じない中でも、韓国語・日本語・英語でコミュニケーションを取りながら楽しい時間を過ごしました。 

 

今回の発表会・学生交流は、貴重な経験で良い刺激となりました。お忙しい中、私たち森ゼミナールの訪問にお時間を取っていただいたカンネウォン先生・キムハナ先生・チョンチャンウォン先生そして壇国大学の学生の皆さんに心からお礼申し上げます。감사합니다 

(摂南大学外国語学部森ゼミナール 石田みほり) 

 

 

 

壇国大学を訪問しキャンパスツアーに参加しました(森ゼミナール



UPDATE 2024-05-01

私たち外国語学部(国際学部)森ゼミナールは、2024年2月14日(水)に韓国の京畿道龍仁市に位置する壇国大学(단국대학교/Dankook University)を訪問しました。壇国大学は在籍学生数約3万5000人、専任教員数約1080人の大規模私立大学です。京畿道龍仁市に竹田キャンパス、忠清南道天安市に天安キャンパスが設置されています。

訪問当日は、同大学の学生広報大使(Student Ambassador)や大学内にある博物館の学芸員の方々にキャンパスツアーをしていただきました。初めに、大学内にある壇国大学の歴史博物館を見学しました。壇国大学の歴史が来館者に分かりやすく説明されていました。

朝鮮半島は1945年に日本の植民地支配から解放されましたが、その約2年後の1947年11月に壇国大学は設立・開校されました。著名な独立運動家である白凡金九(ベクボム キムク)と志を同じくしていた独立運動家・教育者の梵亭張炯(ボムジョン ジャンヒョン)と恵堂趙喜在(ヘダン チョフィジェ)が中心になって設立しました。設立当時の時代状況と民族的な要請のもと、建学の理念は「구국(救国)ㆍ자주(自主)ㆍ자립(自立)」とされています。

壇国大学は、大学の規模を拡大しつつこれまで移転や増設を繰り返してきたそうです。館内には、それらの過程を説明したパネルがあり、どのようにここまで大きな大学に成長させてきたのかを当時の写真や映像、実際に使用されていた学用品の展示を通して示していました。

大学博物館の後は、壇国大学内にある李利子(イ・リジャ)韓服展示館に案内していただきました。ここは、高名な韓服デザイナーである李利子がデザインしたチマ(韓服のスカート)やチョゴリ(韓服の上衣)が展示されていました。他にも、男性が身につける昔ながらの帽子や眼鏡などが多数展示されていました。展示されていたものの中には、今まで見たことのない襟なしのチョゴリや、斬新なデザインのカラフルでおしゃれな韓服がありとても印象的でした。また、李利子は韓服をデザインする時に一着だけでなく、保存用に数着作っていたそうです。そのため、李利子がデザインした韓服が多数残っており、現在も綺麗に展示できていると学芸員の方が説明してくださいました。

最後に、大学内を案内してくださった学生の二人と壇国大学の象徴である大きなクマの銅像の前で写真を撮りました。

一時間ほどのキャンパスツアーでしたが、とても充実した時間を過ごす事ができ、たくさんのことを学ぶ事ができました。学生広報大使の二人とも、日本語や英語でたくさん交流する事ができ、とても貴重な経験をする事ができました。また、大学内にこのような大きな博物館や展示館があることにとても驚きました。学芸員の方々も、韓国語での説明ではありましたが、ジェスチャーをしながらも丁寧にゆっくりと説明していただきました(ゼミ指導教員の森先生が通訳を担当)。今回のキャンパスツアーで新しく得た知識や経験を生かして今後の調査や研究につなげていきたいと思います。

学生広報大使のお二人と学芸員の方々に心から感謝いたします。ありがとうございました。

(外国語学部[国際学部]森ゼミナール 青山実由)

ソウル歴史博物館を訪問しました(森ゼミナール)



UPDATE 2024-04-28

私たち外国語学部(国際学部)森ゼミナールは、2024年2月15日(木)に韓国のソウル特別市鍾路区に位置するソウル歴史博物館を訪問しました。ここは時代別に4つのゾーンに分かれており、様々な展示を通して韓国のソウル市の約600年の歴史と文化を勉強できます。

 

Zone1:1392~1863 朝鮮王朝時代のソウル

第1ゾーンでは、1392年から1863年までの「朝鮮時代のソウル」が紹介されていました。朝鮮王朝建国後に太祖李成桂(イ・ソンゲ)が王都と定めた漢陽は二度の戦乱で大きな被害を受けましたが、復旧作業を経て朝鮮王朝後期に次第に繁栄していき、次第に漢陽は経済の中心地となり、同時に思想や学問、芸術が盛んな場所になったそうです。館内には、当時の漢陽の町並みや伝統工芸品、貴重な資料などが展示されており、当時の人々の暮らしをリアルに再現した大きな展示もありました。朝鮮王朝時代の人々の生活スタイルを感じられる空間でした。第1ゾーンの最後には、朝鮮王朝時代に漢江を従来した「黄布帆船」が再現されており、あまりの大きさに衝撃を受けました。

Zone2:1863~1910 開港と大韓帝国期のソウル

第2ゾーンでは、開港と大韓帝国期のソウルについて展示されていました。19世紀半ばから朝鮮半島は日本を始めとして世界列強に門戸を開くようになり、ソウルは伝統的な首都から近代的後市に変わっていきました。西洋風の建物が建てられ、道路が新設・拡張されたほか、路面電車が走るようになるなど新たなコンセプトや文物が導入されました。一方、自主的改革の一環として1897年に大韓帝国建国が宣布され、慶運宮(徳寿宮)は皇宮となり、大韓帝国の象徴である圜丘壇が建立されました。ソウルは、東洋的な伝統と西洋的な近代が共存する都市へと徐々に様変わりしていきました。

ゾーン2では、外国勢力が開港を求めるに従って、進歩的知識人たちが中国中心の世界観から脱却し成長しようとしている姿が展示されており、国全体が伝統的な考え方から少しずつ「近代」に染まっていく様子が表現されていました。また、西洋風の建物が建ち、路面電車が敷かれ、電柱や街灯が設置されるなど街の様子が変化し、現代的な街並みに少しずつ近づいている様子が展示物からわかりました。このような様子をこれまで見たことがなかった私たちにとってはとても印象的でした。

Zone3:1910~1945 日帝強占期のソウル

ゾーン3では、日帝強占期のソウルが展示されていました。日帝強占期とは韓国で使用されている用語であり、日本による朝鮮半島植民地支配期(1910~1945年の35年間)を指します。1910年に大韓帝国が日本に「併合」された後、ソウルは京畿道所属の京城府に格下げされました。当時、ソウルには植民地支配のための主要機関が集中的に建設され、1926年には景福宮内に天皇の直属機関である朝鮮総督府が建てられました。

この時代にもソウルは引き続き首都の役割を果たしながら急速な近代化が進みましたが、日本人中心に行政が運営され、日本人居住地である南村に経済や文化が集中するなど社会構造が大きく変化し、韓国人(朝鮮人)に対する社会的差別が恒常化しました。展示によると、人々は供出を強いられて財産を略奪され、軍隊や労役などに強制動員されたほか、民族性の抹殺を図る皇国臣民化政策によって精神的にも抑圧されたということです。

このゾーンの見学では、ソウルは伝統的な都市空間が絶えず改造され植民地支配しやすい都市へと再編が進む一方で、抗日運動・独立運動を行い民族文化を守るために努力を続けた人々の姿が描かれていたことが印象的でした。また、日本と韓国のこのような歴史を実際に資料や展示物で見ることで新たに衝撃を受けると同時に、日本による朝鮮半島植民地支配期は今後私たちが研究をするうえで忘れてはならないことだと感じました。

Zone4:1945~2010 大韓民国の首都ソウル

ゾーン4では1945~2010年代の大韓民国の首都であるソウルについての資料が展示されていました。1945年の植民地支配からの解放、朝鮮戦争時代のソウルの風景など、博物館でしか感じ取ることのできない当時の様子を知ることができました。さらに、1960年代から始まる国家主導の経済開発により急激に現代化へと進み、人口増加に伴いソウルは大きく拡大し、江南以南までソウル全域に都市基盤施設が整備されていった過程の写真や資料を閲覧しました。開発前の江南の写真は、現在の姿とは全く違うもので、このような経済開発が行われている際の都市の過密化や地域格差、環境汚染などの様々な問題が引き起っていたということが印象に残りました。

また、ソウル市民の流した汗が高度成長を支えた一方で、そのようなソウルの姿や暮らしは後に文化コンテンツの題材となっていったようです。巨大都市に成長したソウルは、1988年ソウルオリンピックを経ながら、1990年代からはミレニアム時代の幕開けとなり現代都市へと生まれ変わっていったようです。このような移り変わりを資料を通して学ぶことが出来ました。

今回のソウル歴史博物館の訪問を通して、現在のソウルが形成されるまでの過程を学ぶことができました。韓国に対する理解を、ソウルという首都が歩んだ歴史を通して深めることができた良い機会でした。

(摂南大学 外国語学部/国際学部 森ゼミナール 益田優笑・青山実由・石田みほり・夫馬涼葉)

韓国の映画専門誌出版社シネ21(씨네21)を訪問しました



UPDATE 2024-04-25

私たち外国語学部(国際学部)森ゼミナールは、2024年2月13日(火)に韓国ソウル市に位置する映画専門誌出版社シネ21社(韓国ソウル特別市永登浦区)を訪問しました。シネ21社は、批評のクオリティーが高いことで有名な映画評論雑誌『シネ21』を発行していています(web版はhttp://www.cine21.com/)。『シネ21』は映画専門誌ではありますが、映画評論だけでなく、ドラマやアニメーションへの特集や、俳優や脚本家へのインタビュー記事など様々な内容が掲載されています。訪問当日は、『シネ21』編集長のソン・ギョンウォン(송경원)さんにお話を伺いました。

ソン・ギョンウォン編集長は映画評論家としてデビュー後にシネ21社に入社し、映画批評専門記者となりました。事前に私たちからお送りした質問に、ソン編集長は準備してくださり、一つ一つ丁寧に答えてくださいました。

まず、私たちはK-POPとドラマ・映画の関連性について質問をしました。ソン編集長によると、昔はK-POPアイドルが俳優として演技することに対して批判的な意見が多く、評価されないことが多かったようです。しかし、現在はむしろアイドルを起用することによってヒットする作品があったり、K-POPアイドルのMV(ミュージックビデオ)を映画監督が作成したりすることも増えたそうです。最近では、ドラマや映画を視聴できるプラットフォームが多くなったことにより、アイドルや新人俳優が芸能界でブレイクするチャンスも高まりました。以前は、新人が出演する作品はホラー系の作品というのが一種の登竜門だったようですが、今はwebドラマへの起用もあるということでした。このような時代の変化によってK-POPアイドルに求められることが多くなったのも事実で、K-POPアイドルはただ歌って踊れるアイドル業だけでなく、俳優業やタレント力、更にプロデュース力までもが求められるようになったことも分かりました。これまではデビュー後に経験を積み重ねて得た能力が、今ではデビューの時点で求められているということを聞き、韓国の芸能界の厳しさを実感しました。

また、ソン編集長のお話から、ドラマや映画で人気アイドルを使ったからといって必ずヒットするわけではないことも知りました。韓国の視聴者は冷静にドラマや映画を観てSNS上で評価をするため、人気アイドルでも演技が下手では批判されてしまいます。そのため、アイドル業と俳優業を上手く使い分ける人が今の韓国芸能界に求められる人材だと仰っていました。

最後に、ソン編集長は現在のK-POP業界は「韓国のK-POP」ではなく、「世界のK-POP」を作ろうとしているとおっしゃいました。最近のK-POPアイドルでは、韓国人だけのグループは少なく、多国籍のメンバーを取り入れるなどグローバルな業界になっています。ソン編集長はK-POPの「K」は韓国ではなく、今や世界を指しているのではないかと指摘し、私(益田)はその意見に大きく共感しました。最近のK-POP音楽業界の方向性は、社会問題を取り上げるようになっており、ただ面白いだけではなく、意味のあるものを作り上げるようになったそうです。これはK-POPを始めとした音楽業界だけでなく、映画やドラマにも言えることで、社会的メッセージが込められていない作品は受け手(視聴者)に軽く感じられてしまうという傾向にあるそうです。一方で、映画やドラマだけでなくK-POPアイドル自体も数が多く作品がたくさん作られるため、社会的メッセージを込めたよい作品を作ったからといって必ずしもヒットするとは限らないというお話に、韓国芸能業界の現実を改めて認識しました。

今回、シネ21社を訪問して関係者にお会いし、媒体(メディア)の作り手という立場からのお話を伺えたことはとても貴重な経験となりました。ソン編集長は私たちゼミ学生の質問に1時間半ほど熱心に答えてくださるだけでなく、『シネ21』のバックナンバー数冊や特別版冊子などのプレゼントをたくさん用意してくださいました。

お忙しい中、私たちのために時間を作ってくださったソン編集長に心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。

摂南大学 外国語学部(国際学部) 森ゼミナール 益田優笑

駐大阪大韓民国総領事館を訪問しました(森ゼミ)



UPDATE 2024-03-07

 2023年12月6日(水)に、国際学部/外国語学部森ゼミナール3年生は、駐大阪大韓民国総領事館を訪問しました。イ・ギョンチャン領事が出迎えて下さり、普段は領事館関係者しか使用できない階にある大会議室にゼミ一行を案内してくださいました。

 大会議室でイ領事は、領事館の機能と役割についてプレゼンテーションしてくださいました。領事館の業務は在外国民(同胞)の権益保護・各種申請業務(旅券や査証発給業務など)・日韓自治体交流推進業務・日韓文化交流業務・経済交流業務など多岐に渡っているとのことです。大阪コリアタウンの活性化を総領事館が後援していることも有名です。

 イ領事は、領事館業務の概略を説明してくださった後に日韓関係についてゼミ生と懇談する時間を設けてくださいました。ゼミ生は、ここ数年間の日韓関係の変化や若者による日韓交流の実態などについて質問しましたが、特に韓国ポップカルチャーが日韓関係に及ぼす影響について関心が集中しました。イ領事は「K-POPを始めとしたKカルチャーは、韓国国内で理解されているよりもはるかに大きな影響力を外国で持っている。この力には注目しつづける必要がある」と率直に答えてくださいました。ゼミ生の質問一つ一つに、熱意をもって丁寧に答えてくださり、一人一人と記念撮影までしてくださったイ領事の姿が印象的でした。

 懇談の後、イ領事の案内で旅券発行業務や査証(ビザ)業務、家族関係登録業務を行っている部署を見学しました。

 訪問終了後、ゼミ学生からは「領事館での業務をはじめ、行なっている活動や任務など様々なことを学ばせていただいた」「日韓関係を中心に領事の目線からお話を聞くことが出来たのはとても貴重で良い機会となった。これからの将来、良い日韓関係が続いてほしい」「領事の視点から見たK-POPについて聞くことができてよかった。K-POPは良好な日韓関係の構築に深く関わっているのだと今回のお話を聞き改めて思った」「日韓関係についてもっと知りたいと思うようになった」「領事館は、在日韓国人を守るとても大切な場所だと知る事ができた」という感想が寄せられました。

(文・写真 国際学部特任准教授 森類臣)

ウトロ平和祈念館を訪問しました(森ゼミ)



UPDATE 2024-03-07

 私たち摂南大学外国語学部/国際学部の森ゼミナールは、2024年1月26日(金)に京都府宇治市伊勢田町ウトロにある「ウトロ平和祈念館」を訪れました。ウトロは、「1940年から日本政府が推進した『京都飛行場建設』に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡に形成された集落」(ウトロ平和祈念館ホームページ「ウトロ地区概要」より)で、ウトロの人々は劣悪な環境と過酷な差別の中で懸命に生き抜き、お互いに助け合いながら生活してきました。ウトロ平和祈念館ホームページには次のようなメッセージが掲載されています。

 

 ウトロは戦争の時代に形づくられた、日本社会から「置き去りにされた」朝鮮人のまちでした。しかし困難に直面しながら声を上げた人々と、ウトロに寄り添ってきた日本市民、在日コリアン、そして韓国市民が協力してウトロの歴史と居住権を守った歴史は日本と朝鮮半島が互いに理解を深めあい、力を合わせ、地域社会で「小さな統一」をつくることによって新しい社会と未来を築いていけることを示してくれています。(ウトロ祈念館ホームページ「ウトロ地区概要」から引用)

 

 ウトロ平和祈念館は、ウトロの歴史を後世に伝えることだけでなく、「ウトロで終わらないウトロの話」と掲げているように、ウトロを通して平和・人権に関心を広げていくことを目指しています。

 ウトロ平和祈念館に到着した後、まず副館長の金秀煥(キムスファン)さんから講話を聴きました。金副館長は、ウトロ地区の形成から現在に至るまでの歴史的変遷、ウトロ地区で生きる人々の境遇や心境、差別とヘイトクライム(特に、2019年に起こった「ウトロ地区放火事件」)、そしてウトロ平和祈念館が伝えたいメッセージについて熱心に語ってくださいました。金副館長のお話を通して、上下水道が近年まで整備されなかったことなど、私たちが想像できないような生活環境の中で暮らしてきたことなど、ひどい差別があったことを学びました。しかし、住民は希望を失わず、人間として当然のことを要求して諦めずに声を上げ続けたことや周辺住民の支援活動があったこと、韓国市民の声が韓国政府を動かしてウトロ支援に結びついたことなどについて学習しました。

 講話の後に平和祈念館の展示コーナーを案内していただきました。年表や当時の写真、住民の私物や韓国の楽器など様々なものが展示されていました。金副館長の説明と共にウトロ地区の形成から始まる展示パネルを見ることで、ウトロ地区の歩んだ歴史や、ウトロ地区で生きた人々の生活にリアルに感じることができました。

 平和祈念館の屋上にも案内していただきました。屋上からはウトロ地区が一望でき、実際に京都飛行場があった場所や住民の集落があった場所を自分の目で確かめることで、ウトロ地区を体感することができました。

 祈念館の展示を見た後、質疑応答の時間を持ちました。金副館長は私たちの質問に丁寧に答えてくださいました。差別の問題はもちろん、ウトロ地区を去った人々のこと、韓国ポップカルチャーブームがウトロ地区や住民、韓国にルーツを持つ人たちに対してどのような影響を与えているのかなどについて金副館長の見解をうかがいました。

 実際にウトロ地区に足を運んでみると、それまで抱いていたイメージが変わり、差別やヘイトクライム、歴史について深く考えさせられました。金秀煥副館長は、お話の中で何度も「かわいそうな他者ではなく、自分たちの問題としてとらえてほしい」とおっしゃっていました。私たちが知らない歴史、過酷な状況がウトロ地区のみならず、世界中の様々な場所であります。「知らない」「関係ない」と他人事にするのではなく、「私たちの社会で起きていること」と、まずは関心を持つことが大切だと感じました。私たちができることは、「学び、考え、伝える」ことであり、ゼミ活動や今回の学習を通して、私たちが学ぶ意味を再確認することができました。

お忙しい中、お時間を取っていただいた金秀煥副館長をはじめ、ウトロ平和祈念館の方々に心からお礼を申し上げます。

♢ウトロ平和祈念館HPは、以下のURLよりご覧ください。https://www.utoro.jp/

 (外国語学部/国際学部3年生 石田みほり)

 

한국어

우리 세쓰난대학교 외국어학부/국제학부 모리세미나는 2024년 1월 26일(금요일)에 교토부 우지시 이세다초의 우토로(京都府宇治市伊勢田町ウトロ)에 있는 우토로 평화기념관을 방문했습니다. 우토로 마을은 “1940년부터 일본 정부가 추진한 ‘교토 비행장 건설’에 동원된 조선인 노동자들의 함바 터에 형성된 마을”입니다(우토로 평화기념관 홈페이지 ‘우토로 마을 역사 이야기’에서 인용). 우토로 마을의 사람들은 열악한   환경과 과혹한 차별 속에서 열심히 살아와 계셨고 서로 도우면서 생활하셨습니다. 우토로 평화기념관 홈페이지에는 다음과 같은 메시지가 게재되고 있습니다.

 

“우토로는 전시에 형성된, 일본 사회로부터 「방치된」 조선인 마을이었습니다. 하지만 어려움에 직면하면서도 목소리를 높인 사람들과 우토로 곁을 지켜 온 일본 시민들, 재일코리안, 그리고 한국 시민들이 협력해서 우토로의 역사와 거주권을 지켜낸 역사는, 일본과 한반도가 서로 이해를 증진하고 힘을 합쳐, 지역 사회에서 「작은 통일」을 만듦으로써 새로운 사회와 미래를 만들어 나갈 수 있음을 보여주고 있습니다.”  (우토로 평화기념관 홈페이지 ‘우토로 마을 역사 이야기’ 에서 인용)

 

우토로 평화기념관은 우토로 마을의 역사를 후세에 전하는 것 뿐만 아니라, ‘우토로에서 끝나지 않는 우토로의 이야기’라고 홈페이지 전면에 쓰여 있는 듯이, 우토로를 통해서 평화 및 인권을 확대시키는 것을 지향하고 있습니다.

우리 모리세미나 일행이 우토로 평화기념관에 도착한 후, 김수환 부관장님께 특강을 들었습니다. 부관장님께서는 우토로 마을의 역사, 우토로 마을에 살고 있는 사람들의 상황과 심경, 차별과 증오 범죄(특히 2019년에 일어난 ‘우토로 마을 방화 사건’), 그리고 우토로 평화기념관에 담겨 있는 메시지에 대해 열심히 이야기해 주셨습니다. 부관장님의 말씀을 통해 최근까지 마을에는 상수도 및 하수도가 마련되지 않았다는 사실 등 우리 학생들이 상상할 수 없는 생활환경에서 우토로 마을 사람들은 살아왔다는 것, 심한 차별이 있었다는 것들을 알게 됐습니다. 그리고 주민들은 그런 상황 속에서도 희망을 잃지 않고 끝까지 포기하지 않고 목소리를 낸 것, 주변 일본 시민들의 지원이 있었던 것, 한국 시민의 목소리가 한국 정보를 움직이게 해서 정부 차원의 지원이 실현됐다는 점을 배웠습니다.

특강 후에 관장님께서는 평화기념관의 전시물을 안내해 주셨습니다. 역사 연표와 사진, 주민들이 쓰던 물건과 우토로 마을에서 사용된 민족 악기 등 다양한 것들이 전시되어 있었습니다. 부관장님의 설명과 함께 우토로 마을의 형성을 전시 패널을 봐서   우토로 마을 사람들이 걸어온 역사와 생활을 다각적으로 배울 수 있었습니다.

그리고 평화기념관 옥상까지 올라갔습니다. 옥상에서는 우토로 마을을 한눈에 볼 수 있었고, 실제로 교토 비행장이 있던 곳과 주민들의 거주 지역 등을 직접 파악할 수 있었습니다.

전시물을 본 다음에, 마지막으로 부관장님과 질의응답의 시간을 가졌습니다. 부관장님은 우리 학생들의 질문에 하나하나 대답해 주셨습니다. 우리는 차별 문제는 물론, 우토로 마을을 떠난 사람들의 상황, 그리고 최근 한국 대중문화의 유행이 우토로 마을과 주민들, 한국에 뿌리를 둔 사람들에게 어떤 영향을 미치는지 등 많은 것을 물어봤습니다.

실제로 우토로 마을를 방문해 보니 우리가 기존에 가지고 있던 이미지가 변하고 차별과 혐오범죄, 역사에 대해 다시 한번 깊이 생각하게 됐습니다. 부관장님께서는   “불쌍한 타자가 아니라 자기 자신의 문제로 받아들이고 생각해 주시면 좋겠다”고 몇 번   말씀하셨습니다. 우리가 모르는 역사, 상상조차 할 수 없는 상황이 우토로 마을뿐만 아니라 여러 곳에 있습니다. “모른다” “상관없다”고 남의 일로 생각하지 말고 ‘우리 사회에서 일어나는 일’이라고 먼저 관심을 두는 것이 중요하다고 느꼈습니다. 우리가 할 수 있는 일은 ‘배우고, 생각하고, 전하는 것’이며, 이번 특강과 견학을 통해 ‘우리가 배우는 의미’를 다시 한번 확인할 수 있었습니다.

바쁘신 와중에도 시간을 내주신 김수환 부관장님을 비롯한 우토로 평화기념관 관계자 여러분께 진심으로 감사드립니다.

 

♢우토로 평화기념관 홈페이지는 다음가 같은 URL입니다.

https://www.utoro.jp/

 

 (외국어학부/국제학부 3학년 이시다 미호리)

 

 

<English>

 

On January 26, we, the Mori Seminar of the Faculty of International Studies (the Faculty of Foreign Studies) of Setsunan University, visited the Utoro Peace Memorial Museum in the Utoro district of Iseda-cho, Uji City, Kyoto Prefecture. “Utoro began as the living quarters for ethnic Koreans, or Zainichi Chosenjin, mobilized for the “Kyoto Military Airport Construction Project” promoted by the Japanese Government beginning in 1940.”(Referenced from  ‘History of Utoro with Pictures’, the Utoro Peace Memorial Museum website)

The people of Utoro have lived hard in poor conditions and harsh discrimination, helping each other. The following message is posted on the website of Utoro Peace Memorial Museum.

 

“Utoro was formed during the war and was a town of ethnic Koreans “left behind” in Japanese society. However, its people, who faced such difficulties, rose to voice themselves, and they never gave up. Japanese supporters, Zainichi Koreans, citizens of South Korea, and many more stood with them to protect Utoro history and their residency rights. This proves that we, from different communities, can deepen mutual understandings and create “a small unification” to build a new society and future in solidarity.” (Referenced from  ‘History of Utoro with Pictures’, the Utoro Peace Memorial Museum website)

 

After arriving at Utoro Peace Memorial Museum, Mr. Kim Su Hwan, Deputy Director of the Utoro Peace Memorial Museum, gave us a lecture about Utoro. He enthusiastically talked about the historical changes of Utoro District, the circumstances and feelings of people living in Utoro District, discrimination and hate crimes (especially “Utoro District Arson Incident” in 2019), and the message that Utoro Peace Memorial Museum wanted to convey. Through his lecture, we learned that there was severe discrimination, such as the lack of water and sewage maintenance until recent years and living in environments that we could not imagine. We learned that the residents continued to raise their voices without losing hope and demanding what they deserved as a human being, that there were support activities from nearby residents, and that the voices of South Korean citizens led the South Korean government to support Utoro.

 

After Deputy Director Kim’s lecture, he guided us to the exhibition section of Peace Memorial Museum. In the section, there are various things such as chronological tables, a lot of photographs, personal belongings of residents and Korean musical instruments. While we were looking at the exhibition panels with his explanation, we were able to get a real touch on the history of Utoro District and the lives of Utoro people.

Deputy Director Kim also guided us to the rooftop of the Peace Memorial Museum. On the rooftop, we could have a panoramic view of the Utoro area. We saw where Kyoto Air Station was and where residents’ settlements were.
  After that, we had a question-and-answer session. We asked Deputy Director Kim issue of discrimination, those who left Utoro, and how the Korean pop culture boom is affecting Utoro. And he answered his opinion.

Through visiting the Utoro area, we have changed my previous image. And this experiment made us think deeply about discrimination, hate crimes and history. Deputy Director Kim repeatedly said “I hope that you understand Utoro as your problem, not as a poor others’ problem.”

There are histories and unimaginable situations that we do not know about, not only in Utoro but also in various places in Japan. We felt that it was important to pay attention to what is happening in our Japanese society in fact. We should not say “I don’t know.” or ” It’s not my business.” And what we can do is learn issues and share issues with others. Through this experience, we were able to reconfirm the meaning of what we have learned.

 

Finally, I would like to express my sincere gratitude to staff members of the Utoro Peace Memorial Museum, including Deputy Director Kim Su Hwan.

 

♢The Utoro Peace Memorial Museum website is as follows:

https://www.utoro.jp/

 

(Mihori Ishida, Student of Faculty of Foreign Studies/International Studies)