ジョルジョ・アガンベン『オプス・デイ 任務の考古学』2019年、以文社
〔Agamben, Giorgio, Opus dei, Archeologia dell’ufficio, Homo sacer, II, 5, 2012, Boringhieri, Torino〕
ジョルジョ・アガンベンの著作『オプス・デイ 任務の考古学』(以文社)の邦訳が出版されました。翻訳は国際学部の杉山が担当しました。アガンベンの名を世に知らしめた『アウシュヴィッツの残りのもの——アルシーヴと証人』(1998年)以降、このイタリア出身の哲学者は世界でもっとも著名な思想家のひとりであり続けています。アガンベンが一貫してあきらかにしようとするのは、人間の存在がさまざまな機制にとらわれている理由と、その人間が自由になりうる条件です。
ラテン語で「神のわざ」という意味の『オプス・デイ』(2012年)は、上記テーマに「仕事」(任務)という切り口で取り組みます。たとえば本書が問うのは、わたしたちは「なぜ仕事に対して疎外感を持つのか」、そして「なぜ仕事を効率よくしようと躍起になるのか」ということです。この疑問をふまえてアガンベンが注目するのはキリスト教のミサ(典礼)でした。
キリスト教の長い歴史のなかで、ミサを執りおこなう司祭の定義はつねに問題含みです。まず、処刑されたのちの復活に代表されるキリストの行為は、ただ一度きりの奇蹟です。しかし、信者を統率しなければならない後世の司祭も、その仕事(聖務)がなんらかの奇蹟であることを求められます。そこで初期キリスト教の指導者(教父)たちは、司祭をキリストその人による行為を代わりにおこなう存在として定義します。たとえば洗礼という仕事は、司祭その人の行為はただ水をそそぐだけであっても、それがキリストその人の行為であるからこそ、信者は神の恵みに満たされるというのです。こうしてひとつの仕事がふたつに分割された結果、ひとりの人間でもある司祭はとても微妙な状況に陥ります。なぜなら、神の恵みを有効にする道具のようななにかになる彼らは、みずからの生と行為が切り離されたまま存在し続けるからです。
アガンベンによると、この生と行為の切断がほぼそのまま現代のわたしたちにインストールされているからこそ、疎外感と実効性が仕事に張り付くことになりました。本書においてこの洞察は、哲学、法学、倫理学の領域で検証されます。文体はやや難解かも知れませんが、内容はわたしたちにとって切実な問題を扱っています。
また装丁はバロックの画家ジュゼッペ・マリア・クレスピの《聖体拝領》(1712年)というすばらしい作品です。わたしは担当編集にお願いして、かなりムリをしてこの作品の図像をカバーに使用してもらいました。描かれているのは「聖体拝領」という仕事の場面ですが、画面中央に位置する司祭の描写はとても示唆的です。アガンベンの議論とよく響き合うイメージになっていますので、本文に疲れたらこの想定をぼんやり眺めるだけでも、なにかしらの感想が思い浮かぶのではないでしょうか。