私は2023年9月から長期海外出張制度を利用して、マレーシアに行きました。現地での受入研究機関はマレーシア国民大学(Universiti Kebangsaan Malaysia、以下UKM)の人文社会科学部(Fakulti Sains Sosial dan Kemanusiaan、以下FSSK)です。同学部内にあるマレー言語・文学・文化研究センター(Pusat Kajian Bahasa, Kesusasteraan dan Kebudayaan Melayu)というセクションに在籍するカリム・ハルン博士が受入教員としてご尽力下さり、現地での研究活動を円滑に進めることができました。
UKMは1970年に建てられた国立大学です。スランゴール州にあるメインキャンパスは広大で、山を切り開いた敷地に9学部と11研究機関を擁します。私の所属したFSSKは言語学や歴史学といった人文科学から、国際関係論や政治学などの社会科学まで、広く文系の学問領域をカバーしています。
一年間、UKMに拠点を置いて、自身の調査地であるサバ州や東ティモールに足を運び、現地調査を行うことが出来ました。また、UKMの図書館は東南アジア関連の文献コレクションが充実しているため、時に書庫で本や資料を探しつつ、時にオンライン化された論文を閲覧する日々でした。現地調査や文献調査の成果は、帰国前に二つの国際学会で発表しただけでなく、いくつかの研究会で話す機会を得ました。こうした機会に、新たに国内外の研究者と知り合えたのも大きな収穫の一つです。研究活動に加えて、FSSKで開講されているカリム博士らの授業に参加して、教授方法について知見を得ることもありました。
サバ州でも東ティモールでも、私が調査対象とする人々の宗教はカトリックです。現地調査を通じて、二つの社会を対照したり、重ね合わせて見ることで、かれらの信仰生活について理解を深めることが出来ました。とりわけ今回の滞在でありがたかったのは、大学で教えている限りはなかなか赴くことの出来ない時期に、調査地を訪れられたことです。サバ州は毎年五月末に「収穫祭」と呼ばれる文化行事があります。サバ州の先住民の人々が米の収穫を祝して行ってきた伝統行事が、州の文化行事として大々的に行われるようになったものです。さまざまな関連行事が開催されて、お祭りムードが醸成される五月末の時期にサバ州に滞在したのは、およそ20年ぶりのことでした。
また、10年ほど前から調査を始めている東ティモールも、通常であれば調査のために赴くことが出来るのは、授業のない期間に限られます。同国の主要な農作物であるコーヒーの収穫のシーズンは七月頃なので、いつも収穫前や収穫後に行かざるを得ませんでした。今年、初めて収穫の時期に行くことが出来たので、農作業の分担や販路の詳細がわかって、また違った角度から東ティモール社会について知見を得ることが出来たように思います。
< 山間部の小さなチャペル(東ティモール)>
実は、私が大学院生だった2002年から2004年までの期間も、UKMに研究生という立場で在籍して現地調査をしていました。20年の時を経て、同じキャンパスで時間を過ごすことになったわけです。
現地で暮らしていて20年の変化を最も感じたのは、売られているものの値段です。折からの円安に加えて、マレーシア国内の物価上昇もあって、食料品などは日本で調達するのとそう変わらないものも増えてきました。たとえば卵や牛乳は、スーパーでの価格を見るとほとんど違いを感じません。いっぽうで、南国ならではのフルーツや、日常的に食する野菜などは、美味しいものを安価で入手できます。新鮮な葉物の野菜は、日本で支払う値段で数倍の分量が手に入ります。日本とマレーシアの二国間の物価の差はますます小さくなっているようですが、ものによって事情はさまざまのようです。
大きく変わったなと思うことの二つめは、キャッシュレス決済の普及です。日本もコロナ禍を経てキャッシュレス決済が急速に普及しました。ですが、マレーシアで暮らしていると、普及の度合いはそれ以上だと感じます。大学内でさえ、現金が使えないシチュエーションがしばしばあって、苦慮したのを思い出します。もちろん、ショッピングセンターやホテルなどでは、マレーシアでも昔からクレジットカードが使えていました。ですが、今や小さなスーパーでも現金以外の支払いが一般的です。
とりわけ、現金以外の決済手段として、QRコード決済が広がっているのが興味深かったです。スマホにオンラインバンキングのアプリを入れると、(ほぼ自動的に)個人のQRコードが発行されるほか、種々のアプリに決済用のQRコードが実装されています。そうしたスマホのアプリによる決済が、いたるところで可能になっています。支払用のアプリが何であるかを特に考えることなく、レジ横に設置されたQRコードを読み取ったり、こちらが表示したQRコードを表示したりして行う決済は、とても便利です。ナイト・マーケット(pasar malam, 夜市)や、道ばたの屋台などでも、QRコード払いがかなり浸透しています。私も、日本ではスマホでの支払いをしたことがありませんでしたが、マレーシアではそれなしでは不便だと思うくらいに使い慣れてしまいました。
<小さな個人商店でもQR決済が可能(マレーシア)>
20年ぶりのマレーシアでの生活は、新鮮で刺激に満ちたものでした。現地で暮らすことは、現地の社会や文化を学ぶことに直結します。特に、私の専門分野では、こうした感覚を持ち続けることが大きな意味を持ちます。今回の滞在は、これまでに得てきた知識や情報を見直したり、時に再確認したりする、充実した時間となりました。
末筆ですが、このような機会を頂けたことにつきまして、関係各所にあらためて感謝申し上げます。とりわけ、手続き等でバックアップして下さった職員のみなさんや、温かく送り出してくれた国際学部のみなさん、ありがとうございました。
(国際学部教授 上田達)