ウトロ平和祈念館を訪問しました(森ゼミ)



UPDATE 2024-03-07

 私たち摂南大学外国語学部/国際学部の森ゼミナールは、2024年1月26日(金)に京都府宇治市伊勢田町ウトロにある「ウトロ平和祈念館」を訪れました。ウトロは、「1940年から日本政府が推進した『京都飛行場建設』に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡に形成された集落」(ウトロ平和祈念館ホームページ「ウトロ地区概要」より)で、ウトロの人々は劣悪な環境と過酷な差別の中で懸命に生き抜き、お互いに助け合いながら生活してきました。ウトロ平和祈念館ホームページには次のようなメッセージが掲載されています。

 

 ウトロは戦争の時代に形づくられた、日本社会から「置き去りにされた」朝鮮人のまちでした。しかし困難に直面しながら声を上げた人々と、ウトロに寄り添ってきた日本市民、在日コリアン、そして韓国市民が協力してウトロの歴史と居住権を守った歴史は日本と朝鮮半島が互いに理解を深めあい、力を合わせ、地域社会で「小さな統一」をつくることによって新しい社会と未来を築いていけることを示してくれています。(ウトロ祈念館ホームページ「ウトロ地区概要」から引用)

 

 ウトロ平和祈念館は、ウトロの歴史を後世に伝えることだけでなく、「ウトロで終わらないウトロの話」と掲げているように、ウトロを通して平和・人権に関心を広げていくことを目指しています。

 ウトロ平和祈念館に到着した後、まず副館長の金秀煥(キムスファン)さんから講話を聴きました。金副館長は、ウトロ地区の形成から現在に至るまでの歴史的変遷、ウトロ地区で生きる人々の境遇や心境、差別とヘイトクライム(特に、2019年に起こった「ウトロ地区放火事件」)、そしてウトロ平和祈念館が伝えたいメッセージについて熱心に語ってくださいました。金副館長のお話を通して、上下水道が近年まで整備されなかったことなど、私たちが想像できないような生活環境の中で暮らしてきたことなど、ひどい差別があったことを学びました。しかし、住民は希望を失わず、人間として当然のことを要求して諦めずに声を上げ続けたことや周辺住民の支援活動があったこと、韓国市民の声が韓国政府を動かしてウトロ支援に結びついたことなどについて学習しました。

 講話の後に平和祈念館の展示コーナーを案内していただきました。年表や当時の写真、住民の私物や韓国の楽器など様々なものが展示されていました。金副館長の説明と共にウトロ地区の形成から始まる展示パネルを見ることで、ウトロ地区の歩んだ歴史や、ウトロ地区で生きた人々の生活にリアルに感じることができました。

 平和祈念館の屋上にも案内していただきました。屋上からはウトロ地区が一望でき、実際に京都飛行場があった場所や住民の集落があった場所を自分の目で確かめることで、ウトロ地区を体感することができました。

 祈念館の展示を見た後、質疑応答の時間を持ちました。金副館長は私たちの質問に丁寧に答えてくださいました。差別の問題はもちろん、ウトロ地区を去った人々のこと、韓国ポップカルチャーブームがウトロ地区や住民、韓国にルーツを持つ人たちに対してどのような影響を与えているのかなどについて金副館長の見解をうかがいました。

 実際にウトロ地区に足を運んでみると、それまで抱いていたイメージが変わり、差別やヘイトクライム、歴史について深く考えさせられました。金秀煥副館長は、お話の中で何度も「かわいそうな他者ではなく、自分たちの問題としてとらえてほしい」とおっしゃっていました。私たちが知らない歴史、過酷な状況がウトロ地区のみならず、世界中の様々な場所であります。「知らない」「関係ない」と他人事にするのではなく、「私たちの社会で起きていること」と、まずは関心を持つことが大切だと感じました。私たちができることは、「学び、考え、伝える」ことであり、ゼミ活動や今回の学習を通して、私たちが学ぶ意味を再確認することができました。

お忙しい中、お時間を取っていただいた金秀煥副館長をはじめ、ウトロ平和祈念館の方々に心からお礼を申し上げます。

♢ウトロ平和祈念館HPは、以下のURLよりご覧ください。https://www.utoro.jp/

 (外国語学部/国際学部3年生 石田みほり)

 

한국어

우리 세쓰난대학교 외국어학부/국제학부 모리세미나는 2024년 1월 26일(금요일)에 교토부 우지시 이세다초의 우토로(京都府宇治市伊勢田町ウトロ)에 있는 우토로 평화기념관을 방문했습니다. 우토로 마을은 “1940년부터 일본 정부가 추진한 ‘교토 비행장 건설’에 동원된 조선인 노동자들의 함바 터에 형성된 마을”입니다(우토로 평화기념관 홈페이지 ‘우토로 마을 역사 이야기’에서 인용). 우토로 마을의 사람들은 열악한   환경과 과혹한 차별 속에서 열심히 살아와 계셨고 서로 도우면서 생활하셨습니다. 우토로 평화기념관 홈페이지에는 다음과 같은 메시지가 게재되고 있습니다.

 

“우토로는 전시에 형성된, 일본 사회로부터 「방치된」 조선인 마을이었습니다. 하지만 어려움에 직면하면서도 목소리를 높인 사람들과 우토로 곁을 지켜 온 일본 시민들, 재일코리안, 그리고 한국 시민들이 협력해서 우토로의 역사와 거주권을 지켜낸 역사는, 일본과 한반도가 서로 이해를 증진하고 힘을 합쳐, 지역 사회에서 「작은 통일」을 만듦으로써 새로운 사회와 미래를 만들어 나갈 수 있음을 보여주고 있습니다.”  (우토로 평화기념관 홈페이지 ‘우토로 마을 역사 이야기’ 에서 인용)

 

우토로 평화기념관은 우토로 마을의 역사를 후세에 전하는 것 뿐만 아니라, ‘우토로에서 끝나지 않는 우토로의 이야기’라고 홈페이지 전면에 쓰여 있는 듯이, 우토로를 통해서 평화 및 인권을 확대시키는 것을 지향하고 있습니다.

우리 모리세미나 일행이 우토로 평화기념관에 도착한 후, 김수환 부관장님께 특강을 들었습니다. 부관장님께서는 우토로 마을의 역사, 우토로 마을에 살고 있는 사람들의 상황과 심경, 차별과 증오 범죄(특히 2019년에 일어난 ‘우토로 마을 방화 사건’), 그리고 우토로 평화기념관에 담겨 있는 메시지에 대해 열심히 이야기해 주셨습니다. 부관장님의 말씀을 통해 최근까지 마을에는 상수도 및 하수도가 마련되지 않았다는 사실 등 우리 학생들이 상상할 수 없는 생활환경에서 우토로 마을 사람들은 살아왔다는 것, 심한 차별이 있었다는 것들을 알게 됐습니다. 그리고 주민들은 그런 상황 속에서도 희망을 잃지 않고 끝까지 포기하지 않고 목소리를 낸 것, 주변 일본 시민들의 지원이 있었던 것, 한국 시민의 목소리가 한국 정보를 움직이게 해서 정부 차원의 지원이 실현됐다는 점을 배웠습니다.

특강 후에 관장님께서는 평화기념관의 전시물을 안내해 주셨습니다. 역사 연표와 사진, 주민들이 쓰던 물건과 우토로 마을에서 사용된 민족 악기 등 다양한 것들이 전시되어 있었습니다. 부관장님의 설명과 함께 우토로 마을의 형성을 전시 패널을 봐서   우토로 마을 사람들이 걸어온 역사와 생활을 다각적으로 배울 수 있었습니다.

그리고 평화기념관 옥상까지 올라갔습니다. 옥상에서는 우토로 마을을 한눈에 볼 수 있었고, 실제로 교토 비행장이 있던 곳과 주민들의 거주 지역 등을 직접 파악할 수 있었습니다.

전시물을 본 다음에, 마지막으로 부관장님과 질의응답의 시간을 가졌습니다. 부관장님은 우리 학생들의 질문에 하나하나 대답해 주셨습니다. 우리는 차별 문제는 물론, 우토로 마을을 떠난 사람들의 상황, 그리고 최근 한국 대중문화의 유행이 우토로 마을과 주민들, 한국에 뿌리를 둔 사람들에게 어떤 영향을 미치는지 등 많은 것을 물어봤습니다.

실제로 우토로 마을를 방문해 보니 우리가 기존에 가지고 있던 이미지가 변하고 차별과 혐오범죄, 역사에 대해 다시 한번 깊이 생각하게 됐습니다. 부관장님께서는   “불쌍한 타자가 아니라 자기 자신의 문제로 받아들이고 생각해 주시면 좋겠다”고 몇 번   말씀하셨습니다. 우리가 모르는 역사, 상상조차 할 수 없는 상황이 우토로 마을뿐만 아니라 여러 곳에 있습니다. “모른다” “상관없다”고 남의 일로 생각하지 말고 ‘우리 사회에서 일어나는 일’이라고 먼저 관심을 두는 것이 중요하다고 느꼈습니다. 우리가 할 수 있는 일은 ‘배우고, 생각하고, 전하는 것’이며, 이번 특강과 견학을 통해 ‘우리가 배우는 의미’를 다시 한번 확인할 수 있었습니다.

바쁘신 와중에도 시간을 내주신 김수환 부관장님을 비롯한 우토로 평화기념관 관계자 여러분께 진심으로 감사드립니다.

 

♢우토로 평화기념관 홈페이지는 다음가 같은 URL입니다.

https://www.utoro.jp/

 

 (외국어학부/국제학부 3학년 이시다 미호리)

 

 

<English>

 

On January 26, we, the Mori Seminar of the Faculty of International Studies (the Faculty of Foreign Studies) of Setsunan University, visited the Utoro Peace Memorial Museum in the Utoro district of Iseda-cho, Uji City, Kyoto Prefecture. “Utoro began as the living quarters for ethnic Koreans, or Zainichi Chosenjin, mobilized for the “Kyoto Military Airport Construction Project” promoted by the Japanese Government beginning in 1940.”(Referenced from  ‘History of Utoro with Pictures’, the Utoro Peace Memorial Museum website)

The people of Utoro have lived hard in poor conditions and harsh discrimination, helping each other. The following message is posted on the website of Utoro Peace Memorial Museum.

 

“Utoro was formed during the war and was a town of ethnic Koreans “left behind” in Japanese society. However, its people, who faced such difficulties, rose to voice themselves, and they never gave up. Japanese supporters, Zainichi Koreans, citizens of South Korea, and many more stood with them to protect Utoro history and their residency rights. This proves that we, from different communities, can deepen mutual understandings and create “a small unification” to build a new society and future in solidarity.” (Referenced from  ‘History of Utoro with Pictures’, the Utoro Peace Memorial Museum website)

 

After arriving at Utoro Peace Memorial Museum, Mr. Kim Su Hwan, Deputy Director of the Utoro Peace Memorial Museum, gave us a lecture about Utoro. He enthusiastically talked about the historical changes of Utoro District, the circumstances and feelings of people living in Utoro District, discrimination and hate crimes (especially “Utoro District Arson Incident” in 2019), and the message that Utoro Peace Memorial Museum wanted to convey. Through his lecture, we learned that there was severe discrimination, such as the lack of water and sewage maintenance until recent years and living in environments that we could not imagine. We learned that the residents continued to raise their voices without losing hope and demanding what they deserved as a human being, that there were support activities from nearby residents, and that the voices of South Korean citizens led the South Korean government to support Utoro.

 

After Deputy Director Kim’s lecture, he guided us to the exhibition section of Peace Memorial Museum. In the section, there are various things such as chronological tables, a lot of photographs, personal belongings of residents and Korean musical instruments. While we were looking at the exhibition panels with his explanation, we were able to get a real touch on the history of Utoro District and the lives of Utoro people.

Deputy Director Kim also guided us to the rooftop of the Peace Memorial Museum. On the rooftop, we could have a panoramic view of the Utoro area. We saw where Kyoto Air Station was and where residents’ settlements were.
  After that, we had a question-and-answer session. We asked Deputy Director Kim issue of discrimination, those who left Utoro, and how the Korean pop culture boom is affecting Utoro. And he answered his opinion.

Through visiting the Utoro area, we have changed my previous image. And this experiment made us think deeply about discrimination, hate crimes and history. Deputy Director Kim repeatedly said “I hope that you understand Utoro as your problem, not as a poor others’ problem.”

There are histories and unimaginable situations that we do not know about, not only in Utoro but also in various places in Japan. We felt that it was important to pay attention to what is happening in our Japanese society in fact. We should not say “I don’t know.” or ” It’s not my business.” And what we can do is learn issues and share issues with others. Through this experience, we were able to reconfirm the meaning of what we have learned.

 

Finally, I would like to express my sincere gratitude to staff members of the Utoro Peace Memorial Museum, including Deputy Director Kim Su Hwan.

 

♢The Utoro Peace Memorial Museum website is as follows:

https://www.utoro.jp/

 

(Mihori Ishida, Student of Faculty of Foreign Studies/International Studies)

 

 

鄭雅英(チョン・アヨン)教授(立命館大学経営学部特別任用教授)のゲスト講義を開催しました!



UPDATE 2024-02-24

 森ゼミナールでは2023年12月5日(火)3限に立命館大学経営学部特別任用教授の鄭雅英先生をお迎えし、ゲスト講義を開催しました。当日は鄭先生に摂南大学寝屋川キャンパス7号館の教室へお越しいただきました。鄭先生は在日コリアンであり、海外コリアン事情について詳しい方です。鄭先生は現在、立命館大学経営学部で「朝鮮語」「東アジアと朝鮮半島」「平和人権フィールドスタディ」といった科目などを教えていらっしゃいます。

 鄭先生によると、現在日本には81万人の在日コリアンがおり、また中国には230万人、アメリカには260万人もの海外在住のコリアンがいるそうです。

 最も興味深かったのは、様々国に国境を越えた人的ネットワークがあるという話です。海外に住む人々は、家族がそれぞれ分かれて生活しているという例も少なくありません。しかし現代ではスマホなど通信媒体が充実しているため、別々で生活していても家族と意思疎通ができます。このような人たちは、トランスナショナル(transnational)な移動と社会の一歩先を歩んでいるとのことです。

 海外コリアンは、中国、ロシア、アメリカなどさまざまな国・地域で生活しています。過去の戦争などの影響で帰還を許されずそのまま住み続けた人たちも多くいると聞きました。加えて、韓国では就職難などが続き、海外へ移住してそこで就職して暮らす選択肢をとる人々もいるそうです。

 また、中国では、韓国ドラマ「星から来たあなた」の大ヒットをきっかけに、韓国のインスタントラーメンの代表である「辛ラーメン」の売り切れが続出したそうです。若い人たちでも韓国ファッションを真似したり、文化を好きになる気持ちに国境は関係ないのだとおっしゃったことが心に残りました。

 鄭先生のお話に対して、こうした海外コリアンの人々の中で故郷(故地)に戻った人はいるのかと質問したところ、中国では170万人のうち70万人が韓国へ戻ったとのことでした。また、アメリカでは朝鮮戦争による孤児が養子として在住していましたが、その方たちも親族を求めて大半が韓国へ戻ったそうです。

 以前より韓国ではジェンダー問題が強く意識されています。また競争社会のため、明るい未来を求め日本やアメリカ、オーストラリアなどで就職する方々もいるそうです。一見明るいように見える中で、こうした裏側で起こっている現実をよく見つめなくてはならないと考えさせられました。加えて、鄭先生は「韓国で起こっていることは、明日の日本」と仰っていました。今起こっている問題から目を背けるのではなく、自分たち一人一人が意識的に考え行動していかなくてはならないのだと思いました。

 今回のゲスト講義を通して、海外コリアンと韓国の現状について、より深いところまで知ることができました。とても貴重な時間になりました。これを機会に、韓国の歴史や文化の理解を深め、今後の研究へと繋げていきたいと思います。お忙しい中、足をお運びいただいた鄭雅英先生、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

(摂南大学外国語学部/国際学部 森ゼミナール 池上愛利)

 

2023年度「基礎ゼミナール成果発表会」を開催しました



UPDATE 2024-02-07

 2024年1月16日(火)に、2023年度の「基礎ゼミナール成果発表会」を行いました。

 国際学部1年生が受講する科目「基礎ゼミナール」では、1クラス15名程度に分かれ、それぞれのクラスで様々なテーマを設定して学習します。本発表会はその学習の内容や成果について共有し競い合うことを目的として行うもので、2023年度は14クラス約220名が参加する大きなイベントとなりました。本年度は会場を「第1会場」と「第2会場」の2つに分けて開催しました。

発表会当日は、各クラスの代表者が学習の成果を発表し、その内容やプレゼンテーションの力を競いました。聴講する学生や教員から発表内容に対する質問が出されると、発表者の学生は積極的に回答をしており、大学生になってからわずか1年間での優れた学習成果に、教員のみならず学生も感銘や刺激を受けたことでしょう。

審査は「基礎ゼミナール」を担当した国際学部教員が担当しました。審査の結果、入賞者は下記の通りに決定しました。入賞の学生には、賞状と副賞が授与されます。

 

[第1会場]

 優勝   村田早希さん

   テーマ:「怖」(ZINE)

 準優勝  西浦詩織さん

                テーマ:「食品ロス問題とその対策について」

 

[第2会場]

 優勝   シャ・テイギョクさん

   テーマ:「JAWA ~新しいファッションの発想~」

 準優勝  福井妃菜望さん

                テーマ:「猫の舞台裏」

 

第1会場の様子

第2会場の様子

 

(文:国際学部准教授 古矢篤史准教授、写真:同講師 小林基・大谷侑也)

浦野ゼミで卒研発表会を開催しました



UPDATE 2024-01-30

2024年1月27日(土)、学内(3号館327教室)で浦野ゼミの卒研発表会を開催しました。

浦野ゼミでは年二回(7月と1月)に卒研発表会を実施しています。今回の発表会は、4年ゼミ生が過日提出を果たした「卒業研究レポート」の成果について、一人30分で発表を行いました。彼らは2月1日に卒研口頭試問が控えており、今回、改めて自身の卒業研究を見直す機会となりました。

当日は4年ゼミ生以外に、3年ゼミ生および2002年度・2012年度・2020年度の卒業生、さらには他大学の職員の方が対面で出席し、休学してインドネシアへ留学中の4年ゼミ生1名がオンラインで参加しました。

発表タイトルは以下の通りです。

「町工場の『いま』─協働体を担う人たちのたたかい─」

「教育分野から読み解くジェンダー ─格差をなくすために─」

「都市公園の歴史的変遷と現代的役割」

「分断される社会─日本における喫煙空間の変容を通じて─」

「スターバックスの現在地─憩いの場を求めて─」

現在、浦野ゼミでは3名が休学中のため、今回の発表会では5名のみの発表と数少なかったですが、それぞれのテーマが多種多様かつ身近なことを取り上げていたため、質疑応答では、質問者の経験を踏まえた質問や指摘だったり、3年次生からは今後の研究の進め方のヒントとするべく質問など、活発な議論が交わされました。

卒業研究は、個々の学生の成果ですが、このように成果発表会をゼミで一堂に会して実施することで、切磋琢磨している姿を垣間見ることができました。

次年度以後もこのような学年を越えたイベントを実施していきたいと考えています。

 

(文責:国際学部教授 浦野崇央)

法廷通訳・裁判傍聴・弁護士会館での勉強会



UPDATE 2023-12-02

写真1:裁判所敷地の端に立つ参加者たち。建物の中が映る角度では撮影できません。

 

2023年11月7日(火)大阪地方裁判所にて、L部3年生文化演習(ハーキーゼミ・齋藤ゼミ)が裁判を傍聴し、その後、大阪弁護士会館で社会人とともに裁判に関する勉強会に参加しました。ハーキーゼミでは今学期のテーマがJustice , 齋藤ゼミでは複数の視点で1つの事件を見る、演習を行なっています。

この日に開かれた裁判のうち3件が法廷通訳を伴うもので、参加者は複数の言語文化に属する人々が同じ法廷にあって裁判が進行する現場を見ることになりました。地方裁判所の中での高裁の判決や、裁判員裁判、傍聴席が被告の関係者でいっぱいになった裁判もありました。学生のほとんどにとって初めての傍聴でしたが、勉強会を企画してくださった北御堂筋パートナーズ法律事務所の平澤威海(ひらさわともうみ)弁護士のおかげで、どの裁判がその日に開始するのか、途中なのか、判決を迎えるのか、争っている内容、などの情報をもとに、自分が傍聴する裁判を複数選べました。夕方まで傍聴した後、近くの弁護士会館での勉強会に参加しました。

写真2:弁護士会館で勉強会。社会人参加者は、企業経営者の多いロータリークラブの皆さん。

 

参加者のコメント:

・いつもはニュースで聞くだけの裁判がすぐ近くで見学できた!

・法廷通訳の方がものすごいスピードで双方向に訳していて、かっこよかった。

・裁判は、意外と身近なものだと感じた。

・被告人が申し訳なさそうで、悲しい顔をしていて、姿勢もしょんぼりしていて、同情してしまった。自分には裁判長は務まらないと思った。

・一方で、裁判の理由になった深刻な事情とは裏腹に裁判長と友達のように話している被告もいて、なぜこの場にいるのかわかっているのかな?と思うこともあった。

・弁護士は誰にも公平であるために、国から補助金をもらわない、と聞いて驚いた。

・被告の縄と手錠を裁判の始めと終わりにつけ外しするところを、傍聴席から自分が見つめてよいのか、迷った [弁護士会館にも、これに関するポスターが掲示されていました]

・海外のドラマの裁判では登場人物が感情的になって怒ったりするけれど、今日見た裁判はみんながルールに則って振る舞っていた。

・行く前は、裁判はピリピリした空気かと思っていたが、そうではなかった。裁判長によってゆったり進んだり、どの人にも優しく問いかけて話を整理したりと、雰囲気が裁判によって違った。

・ニュースで聞くだけだった保釈金の仕組みと理由に、びっくりした。

・裁判というのは判決を下すだけでなく、いろいろな人たちが話をして、聞いて、の、話し合いの場である、と感じた。

写真3:傍聴と勉強会を終えた参加者たち。長時間おつかれさまでした!

大阪地方裁判所:https://www.courts.go.jp/osaka/index.html

(文責・写真:国際学部教授 齋藤安以子)

大阪コリアタウンでフィールドワークを行いました(森ゼミ)



UPDATE 2023-11-02

 2023年7月25日(火)に、私たち摂南大学国際学部/外国語学部の森ゼミナールは大阪コリアタウンでフィールドワークを行いました。フィールドワークを行う前に、ゼミの指導教員である森先生から在日コリアンについてレクチャーを受けました。また、フィールドワーク中は、私たちの共同研究のテーマである「K-popにおけるインフルエンサーとファンダム」に繋げるため、大阪コリアタウンでのK-popの影響や、コリアタウンに訪れるK-popファンの現況についても尋ねました。

 フィールドワークでは、金賢泰さん(特定非営利活動法人コリアNGOセンター事務局長)が案内をしてくださいました。鶴橋駅で金賢泰さんと待ち合わせ、鶴橋国際市場と大阪コリアタウンを散策しながら、その歴史や在日コリアンの現状についてお話をして頂きました。

 大阪市生野区は外国人が暮らしている割合が多いところです。生野区の2割の人達が外国籍で、3~4割が日本以外の国にルーツを持っている人達が暮らしています。そのうち7割が韓国朝鮮の人たちです。鶴橋駅から広がっている商店街、通称「国際市場」をどんどん進むと、沢山のキムチやキンパ(韓国海苔巻き)・チヂミだけではなく、日本の商店街では見ることのない豚足などが並んでいました。日本で一番身近に韓国を感じることのできる市場といっても過言ではなく、時々聞こえる韓国語の会話が印象的でした。鶴橋本通商店街では、韓国の伝統的衣装である韓服やサムギョプサルの店舗が並んでいました。

 コリアタウンの入口にある御幸森天神宮は、仁徳天皇が鷹狩を楽しんだり、当時百済からやってきた渡来人との交流のために度々訪れた場所とされています。そのような歴史を伝えてくれる場所はもちろんのこと、徳山商店など有名なお店を実際に見てお話を聞きながらコリアタウンを散策し、大阪コリアタウン歴史資料館へ向かいました。

 歴史資料館では、昔の街並みの写真や、在日コリアンの方が書いた本など、在日コリアンやコリアタウンに関連した沢山の本や資料が並べられており、金賢泰さんがコリアタウンの歴史について詳しく教えてくださいました。

 コリアタウンはとても歴史が古いのですが、2022年1月に、一般社団法人「大阪コリアタウン」として再出発しました。もともと、御幸通商店街・御幸通東商店街・御幸通中央商店街の3つの商店街に区別されていたのですが、これらが「大阪コリアタウン」として統一されたのは最近のことであり、とても時間がかかったそうです。

 コリアタウンは、民族的にはコリアンの方が多いということですが、国籍は複雑です。なぜなら、日本籍を取得する人もある程度いるからです。最近では外国人でも日本で生まれた子供は日本の国籍を持つ人が多くなっています。そのため、現在は国籍と民族性を一致させることは難しくなっています。

 現在のコリアタウンには、現在40~50代の母親世代と10~20代の娘世代が数多く訪れているそうです。2000年代初めに遡ると、その時は『冬のソナタ』という韓国ドラマがとても有名になった時期であったため、現在の母親世代の方が多く訪れていました。このような影響から、現在は母娘など親子でコリアタウンを楽しむ方々が増加しているとのことです。

 また、韓国ドラマやK-POPなど韓国ポピュラーカルチャーは日本のみならずヨーロッパや他のアジアでも流行しているため、コリアタウンへは日本人以外の外国人観光客も増えています。実際に、私の周りの友達も親子で一緒にコリアタウンへ行ったり、家族みんなで買い物に行ったりすると聞きます。今は年代や性別、国籍を問わず多くの人がコリアンタウンを訪れ、楽しんでいるのだなと実感しました。

 コリアタウンから少し離れたところには「いくのコーライブズパーク」(御幸森小学校跡地)があり、そこには在日外国人の子供たちが少しでも心穏やかに笑顔で過ごせるように、たくさんの国の本や絵本が並べられた図書館があったり、お祭りのようなイベントを開いて楽しんだりと様々な工夫がされていました。実際に、図書館では子どもたちが友達と楽しく遊んでいる光景を見ることができました。

 私たちは今まで何度かコリアタウンを訪れたことがありますが、「韓国の有名な食べ物が売っているなあ」「お店の人が韓国語を話しているなあ」など感じるだけでした。そのため、今回のフィールドワークを通して、在日コリアンの人が苦労してきた歴史があったことや、長い年月をかけてここまで進展してきたことなど初めて知り、コリアタウンに対する知識と意識が深まりました。

また、コリアタウンの変化だけでなく、「そこに住む在日コリアン/在日外国人の人々の生活をどのようにしたら豊かにできるのか」「子ども達がよりのびのびとした生活を送るためにはどうしたらいいのか」について、地域の人々と悩み、工夫し続けていることがよく分かりました。皆さんの熱い思いがとても強く印象に残った調査でした。今回のフィールドワークは私たちにとってとても貴重な1日になり、考えを深めることができました。これを機会に、改めて韓国の歴史や文化に対する理解をさらに深め、今後の研究へと繋げていきたいと思います。また、暑い中フィールドワークの案内役を務めてくださった金賢泰さんへ心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

(摂南大学国際学部/外国語学部 森ゼミナール  夫馬涼葉・青山美由)

 

 

오사카 코리아타운 답사

2023년 7월 25일에 우리 세쓰난대학교 국제학부(외국어학부) 모리 세미나는 필드 워크를 하러 오사카 코리아타운을 찾았습니다. 필드워크를 하러 가기 전에 모리 선생님께 재일코리안에 대한 지식을 배우고, 그리고 우리 공동 연구의 주제인 ‘k-pop의 인플루언서와 팬덤’으로 이어지기 위해, 오사카 코리아타운에서의 k-pop의 영향과 코리아타운에 방문하는 k-pop 팬들에 대해서도 조사했습니다.

필드워크에서는 김현태 사무국장님(특정비영리활동법인 코리아NGO센터)가 안내를 해주셨습니다. 쓰루하시역에서 김현태 국장님을 뵙고 쓰루하시 국제시장과 오사카 코리아타운을 걸으면서 이 지역의 역사와 재일코리안의 상황에 대해 이야기를 들었습니다.

오사카시 이쿠노구는 외국인이 사는 비율이 높은 곳입니다. 이쿠노구의 약 20%의 사람들이 외국 국적이고, 약 30~40%가 일본 이외의 나라에 뿌리를 둔 사람들이 살고 있습니다. 그 중 약 70%가 코리아(한국/조선) 사람들입니다. 쓰루하시역에서 시작하는 상점가, 소위 ‘국제시장’을 걸어가면, 김치와 김밥, 그리고 부침개 뿐만 아니라, 일본 상가에서는 볼 수 없는 족발 등을 팔고 있었습니다. 일본에서 가장 코리아를 가깝게 느낄 수 있는 시장이라고 해도 과언이 아니라, 가끔 들리는 한국어 대화가 인상적이었습니다. 쓰루하시 혼도리(本通) 상가에는 한국의 전통 의상인 한복과 고기집 가게가 늘고 있습니다.

코리아타운 입구에 있는 미유키모리 텐진궁(御幸森天神宮)은 인덕천황(仁徳天皇)이 매사냥을 즐겼던 장소이고 당시 백제에서 온 도래인들과의 교류를 위해 자주 방문했던 곳으로 알려져 있습니다.이렇게 코리아타운 주변을 산책하고 오사카 코리아타운 역사자료관을 방문했습니다.

역사자료관에서는 옛 거리 풍경의 사진과 재일코리안들이 쓴 책 등 재일교포와 코리아타운에 관련된 많은 책과 자료가 진열되어 있고 김현태 국장이 코리아타운의 역사에 대해 자세히 알려주셨습니다.

코리아타운은 2022년 1월에 일반사단법인 ‘오사카 코리아타운’으로서 재출발했습니다.원래 미유키도리(御幸通) 상점가, 미유키도리 히가시(御幸通東) 상점가, 미유키도리(御幸通) 중앙상점가의 3개 상점가로 나뉘어져 있었는데, 이 3개 상점가가 ‘오사카 코리아타운’으로 통합된 것은 최근 일이고 매우 시간이 걸렸다고 알려주셨습니다.

코리아타운은 민족 구성 측면에서 재일코리안이 많습니다만 사실은 상황이 복잡합니다. 왜냐면 재일코리안 중에 일본 국적을 취득한 사람들도 있기 때문입니다. 최근에는 외국인이라도 해도 일본에서 태어난 아이는 일본 국적을 가진 사람이 많아지고 있습니다. 그래서 현재는 국적과 민족성을 일치시키는 것이 어려워지고 있습니다.

현재 코리아타운에는 40-50대 어머니 세대와 10-20대 딸 세대가 함께 방문하는 경우도 많다고 합니다. 2000년대 초에는 ‘겨울연가’가 매우 유명해진 시기였기 때문에 어머니 세대가 더 많이 찾고 있었습니다. 이런 영향으로 어머니와 딸 등 부모와 자녀가 함께 코리아타운을 즐기는 것 같습니다.

또한 한국 드라마와 K-POP 등 한국 대중문화는 일본뿐만 아니라 유럽과 다른 아시아에서도 유행하고 있기 때문에 코리아타운에는 일본인 이외의 외국인 관광객도 늘고 있습니다. 실제로 제 주변 친구들도 부모와 자녀가 함께 코리아타운에 가거나 가족 모두 쇼핑하러 갔다 왔다는 야기를 들었습니다. 지금은 남녀노소 국적에 관계없이 많은 사람들이 코리아타운을 즐기고 사랑하는 것 같습니다.

코리아타운에서 조금 떨어진, 미유키모리소학교가 폐교된 터에  ‘이쿠노 코라이브즈 파크(IKUPA)’가 생겼습니다. 그곳에는 재일 외국인 어린이들이 조금이나마 편안하게 웃으면서 지낼 있도록 외국어 책과 그림책이 진열된 도서관이 있고, 다양한 축제를 열고 즐기거나 하는 등 많은 노력이 이루어지고 있습니다. 실제로 도서관에서는 아이들이 친구들과 즐겁게 놀고 있는 광경을 볼 수 있었습니다.

지금까지 저는 몇 번인가 코리아타운을 방문한 적이 있는데, ‘한국의 유명한 음식을 파는구나’, ‘가게 사람들이 한국어를 하는구나’ 등 표면적으로 느낀 뿐이었습니다. 그렇기 때문에 이번 답사를 통해서 이렇게 재일코리안들이 고생해 온 역사가 있었다는 것이나 오랜 세월에 걸쳐 여기까지 전진해 왔다는 것 등을 처음으로 알게 돼서 코리아타운에 대한 인상이 매우 바뀌었습니다.

또한 코리아타운의 변화 뿐만 아니라, 거기에 사는 재일코리안들 / 재일 외국인들의 생활을 어떻게 하면 풍요롭게 할 수 있는지, 그리고 아이들이 더 활발하게 살기 위해서는 어떻게 해야 하는지를 지역 사람들과 같이 고민하고 계속 노력하고 있다는 것을 잘 알 수 있어 습니다. 코리아타운의 관계자 여러분의 뜨거운 마음이 매우 인상적이었습니다. 이번 답사는 우리 학생들에게 매우 귀중한 하루가 되었습니다.이를 계기로 다시 한번 한국의 역사와 문화를 이해하고 향후의 공부와 연구로 이어가도록 하겠습니다.

  더운 날씨에도 불구하고 답사의 안내를 해주신 김현태 사무국장님께 진심으로 감사드립니다. 고맙습니다!

(세쓰난대학교 국제학부/외국어학부 후마 스즈하, 아오야마 미유)

 

 

 

上海外国語大学の夏季中国語プログラムに参加しました。



UPDATE 2023-10-17

 外国語学部中国語専攻の学生が上海外国語大学の夏季中国語プログラムに参加しました。期間は2023年8月6~26日の3週間で、中国語の授業のほか、太極拳や書道の文化体験、豫園や浦江遊覧、朱家角での校外学習など、いろいろな国からの留学生とともに、充実した時間を過ごしました。参加学生のコメントを紹介します。

 

 上海での食事は日本と比べ、リーズナブルだと感じました。味も美味しかったです。私は生煎が気に入りました。現地のお客さんが多い店舗に食事に行った際は、外国人だと気づいた方が温かく声をかけてくれました。(外国語学部4年 和久谷一葉)

 

 私は11階に住んでいました。最初は友達と一緒に住んでいましたが、その後、長期留学生の人に部屋を空けるため、途中で部屋を変えました。部屋にテレビ、エアコンが付いています。私が住んでいる方角では、窓から学校のグラウンドが見えます。朝よくサッカーをする人が居ていました。東方明珠も少し見えました。(外国語学部3年 花房愛子)

 

 文化体験は太極拳・書道が各2限ずつ行われました。参加人数は10人程度で1クラスでした。太極拳は先生が前で教えてくださり、他国の学生と教え合う時間もありました。空手とは動きが全く異なり、とても苦戦しました。書道では古典的な筆法を少し学びましたが、実践の時間が大半でした。日本の書道と少し異なる点がありましたが、先生が丁寧に教えてくださいました。

 授業外では、学内で仲良くなった中国人学生と一緒に食事をした後、おすすめの観光地に連れて行ってもらいました。また、イタリア・韓国・スペイン人などの様々な国の留学生と食事だけではなく、バトミントンやトランプなども行い交流しました。

 大学の寮に宿泊し、3週間のうちの1週間のみ、ミャンマー人と同じ部屋で生活をしていました。中国語と英語を使いコミュニケーションを取り、互いの私生活や言語について教えあっていました。また、一緒に生活していると、文化や私生活の違いを発見することができ、興味深かったです。(外国語学部3年 八倉功輝)

(文責:国際学部講師 小都晶子)

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランドでの特別実習を実施しました!



UPDATE 2023-10-05

摂南大学国際学部(外国語学部)では、2023年8月28日(月)~8月30日(水)にホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド(兵庫県神戸市)での「体験型特別実習」を実施しました。ホスピタリティ産業の最前線であるホテルの中でも高品質を誇る「スモール・ラグジュアリーホテル」の現状を視察し、実際の業務を体験することのできる本プログラムは昨年度から始動し、今回が2回目の実施です。

参加者14名は、同ホテル総支配人である本学部の客員教授檜山和司からホテルの経営特性やおもてなしの秘訣等に関する事前授業を受けた後、実習本番を迎えました。3日間の実習では客室、婚礼会場、宴会場等の各部門に配置され、スタッフの指導を受けながら業務を体験しました。

最高品質のサービスを提供するプロ意識、徹底されたサービス精神を目の当たりにした参加者からは、「お客様へのサービスやチームワークの重要性を学ぶことができた」、「すべての職業に共通するおもてなしの重要性を学べた」、「多くのことを体験し、学び、とても充実した3日間になった」といった感想が寄せられました。将来、観光業界で働きたいと考えている学生はもちろんのこと、参加者全員にとって大変貴重な経験となりました。

 

(文責:国際学部事務室 片山美咲)

 

日本経済新聞主催「第23回学生対抗円ダービー」で中島ゼミの3ゼミチーム(リーダー上田佳映さん)が第7位に入賞しました



UPDATE 2023-09-14

日本経済新聞主催「学生対抗円ダービー」とは、中学生以上の学生・生徒たちがチーム(3名以上)で参加し、円・ドル(為替)相場の予想を競う大会です。具体的には、6月末(1回戦)と7月末(2回戦)の為替相場をそれぞれ1カ月前に予想(その根拠の作文とともに提出)し、その予想値と実際の終値との差を2回分足し合わせた合計差(乖離値)の小ささを競います。今回(第23回)は55校683チームが2回戦まで参加し、中島ゼミの3ゼミチーム(リーダー上田佳映さん)が第7位に入賞しました。

6月末(1回戦)は、米国の長期金利が高止まりし、日米の金利差が縮まらず円安傾向が続くことを予想し、42位につけました。7月末(2回戦)は、予想が難しい状況でしたが、主な経済指標の分析からインフレ圧力は依然として強いと判断し、一時的に円高に振れるという予想が的中し、一気に7位に順位を上げました。

企業活動のグローバル化がますます進む中、為替相場の動向は企業業績にも大きな影響を及ぼすため、その基本を学ぶことを目的として、中島ゼミでは10年以上連続して3年生と4年生が円ダービーに参加してきましたが、過去最高の成績となりました。

(文責:国際学部教授 中島直嗣)

<参照> 日本経済新聞2023年8月26日付朝刊20面(マネーのまなび)および同電子版の下記の記事

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD151NI0V10C23A8000000/

ベトナム社会科学院Phan Cao Nhat Anh(ファン カオ ニャットアイン)先生をお招きしてゲスト講義を開催しました



UPDATE 2023-08-21

○本稿は日本語・英語で表記しました。

私たち摂南大学国際学部/外国語学部森ゼミナールは、2023年6月20日(火)3限にベトナム社会科学院(Vietnam Academy of Social Sciences)のPhan Cao Nhat Anh(ファン カオ ニャットアイン)先生をゲストスピーカーとしてお招きし、オンライン形式(zoom)でゲスト講義を開催いたしました。

 

ニャットアイン先生は現在、ベトナム社会科学院において「インドおよび南西アジア研究所(Vietnam Institute of India and Southwest Asian Studies)」の副所長をなさっています。日本の福祉政策を専門とされており日本研究に従事して20年ということで、流暢な日本語で講義をしてくださいました。また、最近はアジアの国際関係に研究領域を広げ、ベトナムのマスメディアでもコメンテーターとして登壇されています。

今年は日越外交関係樹立50周年ということで、当日の講義ではニャットアイン先生にゼミ生6人と対談していただきながら、「政治・経済・歴史」の観点から日越関係について深くお話しをしていただきました。また、現在森ゼミナール3回生はK-POPの社会的影響について共同研究を行っているので、越韓関係(ベトナムと韓国の関係)やベトナムでのK-POPブームについても教えていただきました。

ニャットアイン先生は、最近の日越関係が良好である背景には、1980年代に日越関係のシンボルでもあった「ベトちゃんドクちゃん」や、日本の政府開発援助で建設に着手し2015年に完成した「ニャッタン橋(日越友好橋)」、そしてコロナ禍で日本が多くの医療機器や物資をベトナムに支援をしたことなど、多くの日越協力があるとおっしゃっていました。また、私たちゼミ生が、ベトナム人から見た日本人の印象について質問したところ、「ベトナム人は日本人に対して良い印象を持っている。それと同時に、日本は戦後急速に発展してベトナムにこれまでたくさん支援してくれているので特別感がある」と答えてくださいました。ニャットアイン先生は、「これからも日本とベトナムは教育、文化、安全保障面について協力しあい、両国ともに発展するだろう」とおっしゃっていました。

また、日越関係は全般的に良好である一方、現在のベトナムでは、日本文化より韓国文化の方が人気があるそうです。ベトナムでは、日本と同様に韓国で2002年に放送開始をした「冬のソナタ」が流行し、現在でもインターネットを通して韓国の映画や音楽、ファッションが流行しているそうです。実際に、韓国はベトナムに多く投資をしており経済的、文化的にも韓国とベトナムは外交関係が強くなっているとおしゃっていました。

私たち森ゼミナールは韓国の文化や現代史を勉強し、K-POPを中心に共同研究をおこなっていますが、ニャットアイン先生の講義を受けて知的好奇心が刺激され、ベトナムについても知識をつけたい、いつか訪ねてみたいと思いました。また、ニャットアイン先生にしか伺えない現地の文化についてもお話しいただき、大変勉強になりました。

 お忙しい中、森ゼミナールのゲストスピーカー招請に応じてくださったニャットアイン先生に心より感謝申し上げます。貴重なお話ありがとうございました。

(文責:国際学部/外国語学部3年生 奥村珠帆・太田彩夏)

 

Dr. Phan Cao Nhat Anh, Deputy Director General Vietnam Institute of India and Southwest Asian Studies (VIISAS) at Vietnam Academy of Social Sciences (VASS), Delivers a Guest Lecture on Vietnam-Japan and Vietnam-Korea relationship.

On June 20th, the Mori Seminar of the Faculty of International Studies hosted an online guest lecture with Dr. Phan Cao Nhat Anh, Deputy Director General Vietnam Institute of India and Southwest Asian Studies (VIISAS) from the Vietnam Academy of Social Sciences (VASS).

This year marks the 50th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Vietnam. For this reason, we invited Dr. Nhat Anh majoring in Japanese policy for about 20 years. Recently he also has researched international relationships, especially in the Asian area. These days, he appears on the news show of Vietnamese mass media.

During the lecture, Dr. Nhat Anh had a conversation with us kindly. So we were able to understand Japan-Vietnam relations well. And since we are currently researching about the social influence of Korean Pop culture, he also told us about the relationship between Vietnam and Korea and the K-POP boom in Vietnam.

Dr. Nhat Anh said that the good relationship between Japan and Vietnam is due to modern history and much mutual collaboration. For example, symbols of Japan-Vietnam relations in the 1980’s such as the ‘Viet and Duc Nguyen case, and the ‘Nhat Tan Bridge (Vietnam-Japan Friendship Bridge)’ constructed with Japanese ODA(Official Development Assistance) in 2015. Recently, Japan provided Vietnam with a lot of medical equipment and supplies during the Covid-19 pandemic.

We asked Dr. Nhat Anh some questions about what Vietnamese people think about Japanese people. He replied, “Vietnamese have a good impression of Japanese people. And Japan developed rapidly after the war and provided much assistance to Vietnam, I don’t know if that’s why, so they have unique viewpoints”. And Dr. Nhat Anh said, “If Japan and Vietnam continue to cooperate with each other in education, culture, and security, both countries will develop together.”

At the same time, however, he said, “Although Japan-Vietnam relations are positive, Korean culture is more popular in Vietnam than Japanese culture. Young Vietnamese people tend to favor Korean pop elements like idols”.

And he said, “Korean drama ‘Winter Sonata’ which began broadcasting in Korea in 2002, became popular in Vietnam, too. And today, Korean movies, music, and fashion are still popular and have influence in Vietnam through the Internet. On the other hand, economically Korea has invested a lot in Vietnam. Therefore, we believe that Korea and Vietnam have strong diplomatic relations both economically and culturally”.

Dr. Nhat Anh’s lecture has given us the opportunity to learn more about Vietnam. We didn’t know much about Vietnam up to now. Through this time, we also had a great opportunity to learn about the connection between Vietnamese culture and K-POP. His talks stimulated our intellectual curiosity and made us want to know more about Vietnam.

We would like to express our sincere thanks to Dr. Nhat Anh. Thank you very much!

(Written by Shuho Okumura, Ayaka Ota)